醸句通信
2007.01.15
Tojo’s
【現地時間:14日】

カナダで一番と言われる「Tojo’s」のオープニング
レセプションが開催されました。(16:00~20:00)
←酒一筋のブースです。
(一番左はTojo’sの酒責任者Mr.RYU)
酒一筋のブースでは「純米吟醸」「純米1998年」に加えて、
日本から持参した「純米吟醸生」をお客様
(マスコミ・メディア、特別招待客)に味わって頂きました。

和太鼓の演奏後、開演、そして”鏡開き”と・・・・
20時まで続きました。
SAKEブースだけで無くワイン、ビール、お抹茶ブース
などもありすごさに驚きますね。
普段からTojo’sの料理と日本酒を召し上がっている
お客様ばかりですからお酒に興味を持って下さる方も多く、
酒一筋「純米吟醸」と「純米吟醸生」を飲み比べる方も多かったですね。
《↓Mr.TOJO》

今回も「純米熟成1998年」は人気でした。
このタイプのお酒は、他には無いですから。
(私としてもまた一つ自信になりました)
終了後は、Mr.TOJOを囲んで打ち上げ。
皆さんお疲れ様でした!
ありがとうございました!
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2007.01.15
「酒一筋」ができるまで・その工程4
数々の工程を経て「酒一筋」は生まれます。
その工程一つ一つが「酒一筋」の品質を生成します。
「その工程4」では「上槽(搾り)」から「貯蔵」までを見ていきましょう。


醪の発酵が旺盛な時期を過ぎ、ある程度落ち着いてきたら、成分(日本酒度、アルコール濃度)が整ったことを確認し、醪を酒袋に掛けて搾るか、そのまま酒袋を吊るして自然に垂れるのを待ち、お酒と酒粕に分けます。
この工程を「上槽(搾り)」と呼びます。


上槽により得られたお酒(生酒)は、出荷時の瓶詰めまでタンク(斗びん)に貯蔵します。
貯蔵中は香味の熟成がおき、新酒の荒々しい香味が丸く穏やかなものになります。
ただ熟成が過ぎると、着色が過剰に進み、熟成香や雑味が多くなったりするので、過度に熟成が進まぬよう、貯蔵中の温度管理が大切です。
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2007.01.15
利守酒造 第四代蔵主
![]() | 利守酒造 第四代蔵主 利守 忠義 私が「軽部産・雄町米の復活を」と思い立った昭和40年代当時、清酒の大部分は「三増酒」と呼ばれる醸造用アルコールと糖類(ブドウ糖・水飴)、化学調味料などを多量に添加した、甘いベタベタとした酒でした。 |

農薬を使った原料米、機械万能の醸造技術によって求められたのは、質よりも量――それは、日本酒の堕落とも言える状況でした。
他の大きな蔵では作っていない、本物の、何の混りものもない酒を造りたいと思いました。農家の方々に、まぼろしの米と化していた軽部産・雄町米を栽培していただけるようお願いに回り、各方面の方々の多大なご協力を得て、ついに槽口からほとばしる新酒を前にした時の感慨は、生涯忘れることはできません。
平成に入ってからは、名匠・森陶岳氏のご賛同をいただき、夢であった備前焼の大甕での酒造りにも乗り出すことができました。
手間がかかってもいい。地元の米で、地元の水で、地元の土で作った備前の焼き物で、私は本物の地酒を造りたかったのです。
今は、水のようにスイスイ飲める辛口の酒が主流です。しかし、酒は本来、旨いものでなくてはいけません。雄町という米から、どこまで個性的で、しかも旨い酒が作れるか、これからも挑戦の日々だと思っています。
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2007.01.15
幻の米 赤磐雄町米
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そんな雄町米が“まぼろしの米”と言われるようになったのは、草丈が1.8メートルほどにまで成長するため強い風に弱く、病害虫にも弱いため、栽培にたいへんな手間がかかり、戦後の機械化優先の農業には不向きとされたためです。農業が近代化されるに従って雄町米は栽培面積が減り、一時は6haにまで落ち込みました。 しかし、昭和40年代後半、『良い米で本当の酒を』と決心した利守酒造四代目・利守忠義は、かつて“酒米の帝王”と呼ばれた雄町米の中でも最高とされた軽部産・雄町米の復活に乗り出したのです。 ![]() |

幸い、軽部産・雄町米の価値を深く理解し栽培を続けていた福井神社・社主 清野右正氏の協力を取り付けることができ、利守忠義の各方面への説得が始まりました。
機械化や化学薬品使用などによる省力稲作に慣れた当時の農家の人々にとって、「有機肥料・無農薬」を目指す雄町米の栽培はそれほど簡単に着手できるものではありませんでした。しかし、地元農協、町役場、農家を訪問する日々の中、忠義の熱心な姿勢に賛同する人々が徐々に集まり出します。

そしてついに、利守酒造が農家に所得保証をするなどのリスクを背負うことで、軽部産・雄町米の栽培がスタートしました。
この復活させた軽部産・雄町米を「赤磐雄町米(あかいわおまちまい)」と命名し世にしらしめた。(後に醸した酒を「赤磐雄町」として発売)
昭和57年には忠義の提案で旧・赤坂町に良質米推進協議会が発足し、酒蔵と農家、農協、農業試験所、さらに行政が一体になって雄町米の栽培を推進。収穫された米は利守酒造がすべて買い取る形でのプロジェクトが成功。
平成5年にこの会は、農林大臣賞と岡山県知事賞を受賞するまでに至りました。
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酒造りには、コシヒカリなどの食用米と比べて、大粒で芯の白い部分の大きい米を使用します。現在では山田錦が特に有名ですが、雄町米は、それら多くの酒造好適米の“祖先”にあたります。
もともと雄町米は、嘉永4年、高島村雄町の岸本甚造が大山参拝の帰路、偶然に珍しい品種の米を発見し、これを持ち帰って栽培したもの。温暖な瀬戸内気候、吉井川水系砂川の清流を水源とした水、そして花崗岩質の砂壌土で細かな礫が含まれた通気性の良い軽部村の土壌が、雄町米の栽培には最適な要件を備えていました。
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