醸句通信
2007.01.08
赤磐雄町農家
赤磐雄町米栽培農家 清野 虎雄 私の雄町栽培は、小学生の頃から始まりました。昔は、田植え休みがあり協同で行う田植えは楽しみでした。また、父親の除草についていき、稲の葉に産みつけられた害虫(メイ虫)の卵を除去したりいなご採りをしたものです。 |
秋の稲刈り休みには、稲刈りの手伝い、脱穀の際の稲の運搬を行いました。雄町は丈が長いので大変苦労しました。また、協同で行う籾すりも楽しみでした。
中学生頃になると牛での田引、代かき、苗運びを行うようになりましたが、雄町は苗が大きく他の品種に比べ量が多く大変でした。雄町は、病害虫に弱く(特にメイ虫)また倒れ伏し、台風が来れば品質が悪く、籾すりの時に米選機で数回(5~6回)選別してやりようやく検査に合格するので、近所の人に大変な苦労をかけたものです。子供心に、『何故、雄町を栽培するのか』と思ったものでした。
雄町の稲は、出穂後、穂揃から20日頃までが、他の品種に比べ、大変見事な稲です。また、実るほどに稲穂を垂れるのです。「実れば、実るほど頭をさげる稲穂かな」と言われるように、人の生き方も雄町の稲のようでありたいものです。
父親が、何故雄町作りを続けてきたか――雄町の稲のように人もおごり高ぶりのないようにと、雄町作りを通じて生き方を教えるためだったのでは、と今になって思います。雄町作りが続けられたのも、近所の方々の援助、および農協、普及所の方々のお力添えがあったからと、たいへん感謝しております。